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老舗「虎ノ門 大阪屋 砂場」 曳家による移転、仮店舗設計施工

虎ノ門 大阪屋 砂場の歴史

まず、仮店舗設計施工についてお話しする前に老舗「虎ノ門 大阪屋 砂場」の歴史を紐解いていきたいと思います。

1872年(明治5年)、尾張国(現・名古屋地方)出身の稲垣音次郎が、そば屋で砂場本家「糀谷七丁目砂場藤吉」の暖簾分けにより、琴平町(現・虎ノ門一丁目)に「琴平町砂場(後の虎ノ門大坂屋砂場)」を創業したのが始まりです。稲垣音次郎の妻・よそは、徳川家と縁の深かった武家・刈谷家の娘で、父は鍋島藩の剣術指南役だったが、御前試合で負けた相手から逆恨みされ闇討ちにあい命を落とし、その時、養女として「糀町七丁目砂場藤吉」に預けられました。

「琴平町砂場」の店舗は、旧大名家・阿部氏の敷地の一部を譲り受けるなど、武家との縁が深かったそうです。創業当初は、幕末、明治の剣術家山岡鉄舟高橋泥舟勝海舟の三舟らにひいきにされ、書が残されています。現在の店舗は、1923年(大正12年)の 関東大震災直前に建てられた建物となっています。

砂場」の名は、豊臣秀吉大坂城を築いたとき、大坂の和泉屋という菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を開店し、「砂場」と呼ばれていたのに始まります。徳川家康江戸城を築くときは、江戸に進出し糀町(現・麹町)に店を構えました。「虎ノ門大坂屋砂場」の「大坂屋」は、本店からもらった屋号となっています。

wiki参考

移転の経緯

歴史の深い「虎ノ門 大阪屋 砂場」、2011(平成23)年に国から登録有形文化財に指定されました。以前も一度曳家工事を行っていますが、都道「愛宕下通り」の拡幅工事の為、曳家工事を余儀なくされました。曳家工事の為、一時仮店舗での営業になるので今回二度目の移転をされたという訳です。

老舗仮店舗の設計指針

そんな「虎ノ門 大阪屋 砂場」仮店舗設計施工をニチメンデザインがお手伝いさせて頂くことになりました。

仮店舗とは言え老舗なので「虎ノ門 大阪屋 砂場」の名に恥じる事のない仕上がりを目指さなければなりません。しかし、あくまでも仮店舗。長くても2年程の営業になるのでハイコストの仕上げ材ばかり使用する訳にもいきません。設計者としてはコスト面とクオリティが一番兼ね合いが取れたところを狙って計画する必要があります。

また、本店で運用していた接客アプローチをそのまま引き継げるような客席レイアウトや、接客動線の確保、厨房の運用方法を意識して設計していく事が重要になってきます。

これは仮店舗ならではの難しさとなります。これらのポイントを抑えた結果、仮店舗だが上質でコストを抑えた仮店舗が出来上がるのだと考えています。

まとめ

仮店舗には仮店舗の、本店には本店の指針、抑えるべきポイントがあり、それらを抑えることによってより良い店舗を造り出す事ができます。

ご縁があり昨年8月に設計施工のお手伝いをさせて頂いた「虎ノ門 大阪屋 砂場」。

今現在も伝統を引き継ぎながら仮店舗にて営業をしていますが来春を目途に仮店舗から本店に戻る予定になっており仮店舗を設計した立場としては少し寂しい気もしますが本来の「虎ノ門 大阪屋 砂場」に戻るのは楽しみです。

今後も「虎ノ門 大阪屋 砂場」の活躍から目が離せませんね。